「1970年代に私はすでに成人していて、経済学を学んでいました。当時がどれほどひどい時代だったか、よく覚えています。再び同じことが起こるのを、誰一人として望んでいません」
経済のソフトランディングは、今や投資家の圧倒的コンセンサスとなっています。それもそのはずです。経済指標は、ソフトランディングが最も可能性の高い結末であることを裏付けています。その結果、米国大型株はほんの一握りの企業によって牽引され、最高値を更新し続けています。S&P500種指数の12ヶ月先予想株価収益率(PER)は21.1倍と、過去5年平均の19.0倍や、10年平均の17.7倍を上回っています1。バリュエーションは高止まりし、投資家のセンチメントは極めて強気です。
しかし、慎重な投資家であれば、投資環境のリスクを常に考慮しなければなりません。特に、市場が極端に強気に見える時はなおさらです。逆に、市場環境が極端に弱気に見える時は、勇気と確信を持って資本を振り向ける必要があります。どちらの行動も、実践するのは簡単ではありません。長期的に成功している投資家がほとんどいないのは、そのためとも言えます。
米国経済は好調で、S&P500種指数は連日のように過去最高値を更新していますが、ここは、状況を抜け目なく見極め、ソフトランディングに代わるシナリオとして、スタグフレーションの可能性について探ってみましょう。
スタグフレーションとは、経済成長の鈍化、物価の上昇、失業の増加がすべて同時に起こる経済環境を指します。スタグフレーションは1973~1982年にかけて、主要7カ国で猛威を振るいました。当時と今とでは、明らかに異なる点も多くあります。似たような原因は似たような結果につながる傾向がありますが、まったく同じとなることは決してありません。
確かに、現時点においてスタグフレーションが起こる可能性は低いとみられます。しかし、過去20年間の金融政策、財政、貿易政策の後で、スタグフレーションに陥ることが絶対にないとは言い切れません。英国と日本は、すでにテクニカル・リセッション入りしており、ドイツも第1四半期に同様の事態が予想されます。3カ国ともインフレ率は、経済成長とともに低下しているとはいえ、依然として長期平均を上回っています。ドイツ、日本、英国は、世界第3位、第4位、第6位の経済大国です。
米国は、世界経済における期待の星であり、すべてがうまくいっているように見えます。しかし、米国はスタグフレーションの脅威から免れるのでしょうか。スタグフレーションを引き起こす要素は、すべてそろっています。米連邦準備制度理事会(FRB)は、かたくなに引き締め的な金融政策を維持しています。米国経済は減速しています。巨大な国内の財政支出や軍事支出により、財政赤字は膨らむ一方です。インフレも根強く残っています。そして党派を超えて、保護主義が台頭しています。
投資家は、1970年代のスタグフレーションが再来するリスクを過小評価している可能性があります。
米国経済は、景気後退の瀬戸際にあるわけではありません。むしろ、程遠い状態にあります。アトランタ連銀の「GDPナウ」による最新予測では、2024年第1四半期のGDP成長率は年率2.9%と、健全な水準を維持する見通しです2。しかし、米国のGDP成長率は2023年第3四半期に同4.9%、第4四半期には同3.3%でした3。GDP成長率が減速傾向にあることは、最も警戒すべきことかもしれません。驚くほど力強かった米国の経済成長率は、年末までにかなり冷え込むと予想されます。
実際に、ブルームバーグは2月21日時点で、2024年通年の米国のGDP成長率をわずか1.4%と予想しています。
FRBは、インフレ率が持続的に2%に向かっているという確信が得られるまで利下げに消極的であるため、少なくともあと数カ月、場合によっては、あと数四半期は引き締め的な金融政策が続くと予想されます。これも、景気の減速につながるとみられます。
最近の経済指標は、堅調な経済成長と経済縮小の間で揺れ動いており、不可解な状況を示しています。例えば、2月16日に発表されたミシガン大学消費者信頼感指数は79.6となり、2021年7月以来の高水準となりました。一方、コンファレンスボードが2月20日に発表した景気先行指数は22カ月連続で低下しました。
とはいえ、労働市場は依然堅調で、粘り強さを示しています。雇用市場が低迷しない限り、景気後退を予想するのは難しいでしょう。将来的にスタグフレーションに陥るには、FRBが経済を締め付けるだけでなく、失業率が上昇することが必要となります。
投資家がスタグフレーションの可能性を恐れる最大の理由は、インフレ再燃の脅威かもしれません。
2月13日発表の消費者物価指数(CPI)と同15日発表の生産者物価指数(PPI)は、いずれも予想を上回る高水準となりました。これらのデータを受けて、株価は一時的に反落し、米国債利回りは上昇しました。市場関係者は、年内の利下げ予想回数を下方修正し、利下げ開始の予想時期を後ろ倒しにせざるを得ませんでした
セルサイドの調査会社であるストラテガス・リサーチ・パートナーズは、人々が買いたい品目(テレビ、スポーツクラブの会会権など)を除き、人々が買わなければならない品目(食品、エネルギー、住居、衣料品、保険、水道光熱費)で構成される、「Common Man CPI(市民CPI)」という独自の指数を算出しています。最新のデータによると、市民CPIは前年同期比3.3%上昇しており、総合CPIの3.1%上昇を上回っています。
さらに重要なことに、市民CPIは過去5年間にわたり、賃金を上回るペースで上昇しています4。ストラテガスのインフレ指標に基づくと、人々はすでに一種のスタグフレーションに直面している可能性があります。これは、失業率が記録的低水準にあり、資産価格が過去最高値の水準にあるにもかかわらず、バイデン政権に対する経済面での支持率が極めて低い理由の1つとも考えられます。
その上、労働市場と住宅市場における構造的な需給の不均衡により、インフレ圧力が再燃する可能性もあります。空いているポジションに対して条件を満たす熟練の労働者が不足していることから、賃金は高止まりしています。それと同時に手頃な価格の住宅の需要が高い一方で、供給は少なく、住宅価格も高騰しています。数十年に及ぶとみられる化石燃料からクリーンエネルギーへの移行も、驚くほどインフレに寄与しています。
1970年代と同様に、超低金利時代から数十年続く巨大な国内の財政支出や軍事支出は、過去最高水準の財政赤字を生み出しています。莫大な財政支出もインフレを助長しているとみられます。脱グローバル化、貿易保護主義の高まり、地政学的紛争の増加など、これらすべてが世界の経済成長を抑制し、コモディティの予期せぬ価格ショックやサプライチェーンの混乱をもたらす可能性があり、インフレを一段と加速させる恐れがあります。
ストラテガス・リサーチ・パートナーズの話に戻ると、同社は24カ国における過去62回のインフレについて調べた結果、各インフレ期間において物価上昇の波が1度しかないケースは稀であると結論付けました。実際には、インフレは複数の波があるのが一般的なパターンです。ストラテガスによると、米国のインフレの第二波は、第一波のピークから平均30カ月後に始まります。現在の米国は、CPIがピークを付けた2022年6月から19カ月経っています。
このインフレデータは今から12カ月前後で、スタグフレーションが経済にショックを与える可能性があることを示唆しています。
投資家はソフトランディングを祝い、一部の米国株を買い漁り、S&P500種指数を過去最高値に押し上げています。米国経済は拡大しています。FRBは利上げを終了したと思われます。おそらく、インフレは19カ月前にピークアウトしたはずです。企業利益は再び、伸びています。労働市場は堅調です。投資家にとって好材料はたくさんあります。
しかし、警戒を怠らない投資家であれば、投資環境におけるリスクを常に探っていなければなりません。特に、市場が極端に強気に見える時や弱気に見える時はなおさらです。
2022年の予想を裏切った市場の低パフォーマンスや、2023年の驚くほどの反発を、想定していた投資家がどれだけいたでしょうか。ほとんどの投資家は2023年に景気後退を予想していましたが、現実にはなりませんでした。昨年の憂鬱な景気予測を信じた多くの投資家は、米国のハイテク株やハイイールド債の驚異的なリターンを逃しました。投資に関しては、確率が低いと思われていることほど、予想以上の確率で起こるものです。
では、今から12~18カ月後にスタグフレーションは起こるのでしょうか。これは、投資家がコントロールできるものではありません。しかし、投資家ができることは、そのリスクを過小評価しないことです。
経済成長のペースは鈍化しています。FRBの引き締め政策は、景気を冷やし続けるとみられます。莫大な政府支出はインフレと巨額の財政赤字を生み出しています。住宅市場と労働市場における構造的な需給不均衡は、インフレ圧力を助長しています。数十年に及ぶ化石燃料からクリーンエネルギーへの移行は、驚くほどインフレに寄与しています。脱グローバル化、保護主義、地政学的紛争も世界の経済成長を抑制し、インフレをあおる恐れがあります。しかもインフレは、複数の波が押し寄せることが少なくありません。
こうしたすべてにもかかわらず、誰も将来のスタグフレーションの脅威について語っていません。だからこそ、投資家はスタグフレーションが起こる可能性について考慮すべきなのです。
そして、1つのアドバイスとして、金 を含む実物資産への分散投資によって、スタグフレーションによる痛みを和らげるのに役立つかもしれません。